普賢寺

普賢寺について

仏土山恵日院普賢寺はかつて、天台宗摩尼山金剛座寺の塔中のひとつであったと伝えられている。かつて神坂地内には七ヶ寺があり、織田信長の焼き討ちにより消失したとも伝えられている。古地図には「普賢寺観音堂」の名が見え、古くから観音信仰の土地柄であったことが偲ばれる。現在、普賢寺は字寺として神坂地区の人々によって護られている。
本尊の普賢菩薩は、平安時代初期の作で、楠の一木づくりの国の重要文化財である。


普賢寺

普賢菩薩(重文)